なにを思い、なぜスノースクートで滑るのか?コラム、インタビューです

高橋 徹
たかはし てつ


神奈川県在住

1994年に当時二十二歳の若さにしてまだフランス本国でも知名度の低かったスノースクートと「偶然」出会い日本に輸入を開始、その後積極的なスキー場への働きかけ、メディアやウインター業界への掛け合いを続けスクートを現在のポジションまで持っていったジャパニーズスクート界のゴッドファーザー。スクートを定着させた現在はその交渉力と語学力を活かして他の業界に活躍の場を移しているが、たまにゲレンデに現れる。イラスト→は輸入当初にフランスで活躍したSUNNスノースクートチーム"brigade"のマーク。

mr.takahashi
a.k.a
oshiboriman


高橋さんって誰?って人もいれば古くからのライダーやスキー場、メーカーさんにしてみれば知る人ぞ知る存在。なんってったって、この人がいなかったら日本にスノースクートは存在していなかったかも?

インタビュアー KMN:えー今回のボイスは高橋 徹 氏です。パチパチ、、、
高橋氏:こんにちわ
お久しぶり?でもないですけど、今でこそ第1線を退いている高橋さんですが、今回は高橋さんしか知らないようなスクート輸入当初の話とか苦労話とか聞かせてください
そうだねー。あれは六本木だね
六本木?
あんときは六本木で酔ってた
で?
で、金も無かった
、、。
電車も無かった!
、、、!
というか金が無くなるまで飲んでいたら電車も無かった。
そんな毎日だった、、。
そうそう、、しょうがないから六本木の青山書店の
洋書コーナーでフランスの本を見てた、読めなかったけど。そしたらなんかスノースクートの広告が出てたね。それで勢いで友達と連絡してみた。フランス語は全然だめだったけど勢いでね

へー結構若かったんじゃないすか?
22才かな。プータローだったし。九年前かな?
※高橋さんは青春時代の全てをアメリカで過ごした帰国子女で西田ひかると同じ大学で同級生(高橋さんは中退)。

アメリカで学んだフロンティアスピリットだ(笑)
いや、金も無いので親父の会社の事務所に机1コ置いてまずはスクートを三台輸入してみて。そっからどーすんべ?と考えた。
※当時は「スノースクートジャパン」という会社名でした

それが94年の春先だったと思うけど、雪も無いし滑ったこともないし。S2ってモデルだね、フレームのセンターパイプが無くて、板も裏から穴空けてビス直止め。リアのボードはテールが反っていないから真っ直ぐ滑るしかなかったね。スピンやフェイキーなんて無理。多分、日本には5,6台しかないと思うよ。
あったあった!
で、94-95シーズンに雪も降ったしまずはスキー場に「これ滑らせてください」と営業にいったわけ
日本でのスクート普及の第一歩!
でも99%門前払いで、自分すら滑らせてもらえなかった。その中でも奥利根スキー場は優しく対応してくれたほうだね
でしょうねー、、
98STYLE FRAME

高橋:あんときは六本木で酔ってた

昔からめちゃくちゃなフランスライダー:
フランク、パウダーアタック

高橋:フィーリングの問題だね
何台くらい売れました?初年度は
それでも95-96シーズンには180台くらいは売ったかな?
滑れるスキー場も無いのに売れてますね(笑)
まあ、世の中には物好きもいるもんだ。と思った(笑)その年はS3っていうモデルでリアのボードが今みたいに反ってたね、当時は、、関西の茶谷さんとかもう滑っていたんじゃないかな?
茶谷夫妻は今でも白馬で良く遭遇します。上手いですよ!さすがに。
あとは、岩手の熱いヤツラが何人かいたんだけど、、名前が、、なんだっけ。結構、東北の普及活動のキーパーソンになるんだけどね
思い出しましょうよ(笑)
まあ、いいや。すべり出しは順調だけど、そんとき滑走可能なゲレンデは5,6個所かな?奥利根と、あとはスキー場ガイドにも出てこないような所と
、、地域密着型リフト1本系だ!
うそう、、それでメディアにも出るようになって、ウッチャンナンチャンの番組とか
あー!それ見ましたよ。僕、高校生のころそれ見てスクート知ったんですよ
でも、スタッフやタレントに乗り方教えるんだけど、実は俺も輸入以来まともに滑ってなくて大変だったなー、インストラクターとかいわれちゃって。
(笑)当時はまだSUNNスノースクートですね
そうそう\118,000とかそんな感じで
もう外人とかはバンバン飛んだりレースのまね事とかしてましたっけ
あのころはフランクとかも現役でライダーやってたからね
日本にも実は来ているんですよね。あの辺のライダー
そうそう。95-96ぐらいに日本を軽く回って撮影したり、
そのビデオもってますよ。テキトーな感じで、、皆悪ガキ。でも何十回も見てワクワクしてたなー。。当時は。
(笑)ビデオは郵便で送ったりしたし結構出回っていると思うよ
お客さんに頼まれて結構ダビングしてあげましたよ、、今考えたらスゴイですよね。フランス語で訳わからないし、編集してあるのかしていないのか
失礼な!一応してあるよ。ビデオデッキ2台で
昔のアンソニーかよ!(笑)
(笑)まあ、あのビデオ見て反応しないヤツは別にスクートなんてやらなくていいのよ、フィーリングの問題だね

96-97には今のスクートの形やモデル分けに近い感じでクロモリ(S4)、アルミ(HI-TECH)、フリースタイル(フルメタルジャケット)というラインナップ
フルメタル、大事に乗ってたなー、、思い出の一台です。コンセプトごとにいよいよスクートが別れてきた時代ですね
いや、あいつら(フランス人)適当だからあんまり考えていないと思うよ。どーせワイン飲みながら作ってたよ。で、、その年は360台とか売ったかな
酔っぱらって始めた商売にしては上々ですね
そのころからKMNとか加藤君とか我満とか頑張り始めたんじゃない?我満なんてただの小僧で東北のチャリ屋でおっちゃん達とストーブ囲んでお茶すすってたよ
ははは、、当時からおっさんくさい動きを見せていた。
で、そろそろスポーツとしても普及させたくてMTBのトップライダーとかに乗ってもらって雑誌に出てもらったり。BMXライダーは金無いからMTBユーザーならお金あるかなと思って。チャリ屋さんも冬はヒマだろうし、SUNNは当時は自転車部門も調子よかったしね。ネームバリューもあった
SUNNにレベックとかがいてBMXのレースも総ナメの時期ですね
で、年々倍に増えているから次は600台輸入だ!と張りきったけどそんなお金も無くて、BMXやチャリにも詳しくてウインターにも詳しかったジックジャパンと手を組んだような感じで
それからしばらくして高橋さんはスクート界から離れちゃったけど基盤は出来てきて今に至る。みたいな?
そうだね
日本最初の公式レース:シピーカップ
高橋:あいつら適当だからワイン飲みながら作ってるよ

高橋:岩手のライダーは確か「アラヤくん」だ!見てたら連絡下さい(笑)
シピーモデルとか出た年は初めての大会とかもありましたよね
※フランスのアパレルブランドとのコラボレーションモデル
やったねー。その頃にはもうKMNとも知りあってるね、真っ赤なズボン履いて横須賀までわざわざ挨拶しにやって来たっけ
いや、、そんなズボン履いていませんよ、、
田舎の悪ガキって感じだったね、情熱は感じたからバックアップしてあげたら、、それなりに化けたね(笑)
はは、、まあそれは置いておいて。昔を思い出してみて事件とかありました?
展示会とかやったときに(アクティブコレクション)人口のジャンプ台で外人にデモで飛ばせたら骨折った。
知ってる!でもアレは一体誰?
ルド、、。あいつも高校生ぐらいかな、そのときは。で、そのあとあいつ松葉づえ付きながら上野で万引きしてたなー
あれはルドだったのか、、
あとはジャングルジャングル(山形)のオープニングでエアーのデモンストレーションをさっき話に出てた岩手のライダーと一緒にいったんだよ。そしたら今考えてもデカイジャンプ台で。スキーヤーとか一流選手の中で必死に飛んでクラッシュしてた、誰もランディング出来なくて、、まだスクート自体珍しかったからウケてたなー
今でもそんな感じですよ、いやちょっとは良くなってるかな?
あ!思い出した。岩手のライダーは確か「アラヤくん」だ!見てたら連絡下さい(笑)
なんだそりゃ!、、では、今、スクート界から離れてみてなにかアドバイスはありますか?
いや!今年の冬辺りに復活するよ。選手としてでも!TOOLATEっていうスポンサーもついたしね
そうなん!?
まあ、一緒に滑ろうよ。俺はチタンにしか乗らないつもりだけど(笑)
そうですね(汗)。
スクートの今後に関しては、、うーん。各社、ユーザーさんや選手も一緒になって盛り上げていって欲しいね!せっかくいいスポーツなんだからさ!。
なんとかまとまりましたね、では今年の冬はお待ちしております
そうだね!じゃあまた!
高橋さん、ありがとうございました!

インタビュアー:KMN
PHOTO:TOOLATE
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